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デパートの屋上にゾウがいた時代
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デパートの屋上に、本物の象がいた時代があります。今は観覧車や豆汽車が置いてあるような場所に、生きた動物が芸を見せ、客を背中に乗せて歩いていました。
屋上で4年間暮らした「高子」
日本橋高島屋は昭和25年(1950)から29年(1954)まで、屋上で1頭の象を飼っており、「象のいる百貨店」として親しまれていました。名前は「高子(たかこ)」。高島屋の公式コラムによると、戦後間もない頃、人々を楽しませる話題を提供するためタイ国からやって来た高子は、約560キロの子象で、屋上までクレーンで吊り上げて運んだといいます。
毎日新聞は、主食を除く食料品の統制が1950年に廃止され、戦後の耐乏生活にようやく明るい兆しが見え始めた年でもあったと伝えています。
屋上に上がった高子は、お手やおすわりの芸を覚え、客を背に乗せて噴水の周りを歩くなど、屋上の人気者になりました。ところが毎日30キロ以上の餌を食べて成長し、4年間で体重は約1.8トンに達します。クレーンではもう持ち上げられない重さになり、危険を避けるため上野動物園へ寄贈されることになりました。高子は屋上から中央階段を、クレーンを使わずに自分の足で一段ずつ降りて地上に着いたと高島屋は伝えています。
高子が屋上を去った昭和29年(1954)、建築家の村野藤吾が増築を手がけた際、屋上の塔屋を象の形に似せてデザインしたといわれています。日本橋高島屋S.C.本館の屋上に今も残るこの塔屋は、かつてここに象がいたことの記念だとされています。高島屋の公式コラムによると、今も重要文化財ツアーでこの話をすると、毎回お客様が特に喜ぶそうです。塔屋の話を聞いて「象はどこにいるの」と屋上を訪れる人もいるといいます。
松坂屋の屋上遊園の始まりと屋上動物園
松坂屋の屋上遊園の歴史はさらにさかのぼります。松坂屋史料室の記録によると、明治43年(1910)に栄町で開店したデパート「いとう呉服店」の屋上庭園に置かれた子供用ブランコが始まりでした。大正14年(1925)に全店の商号が「松坂屋」に統一されたのを機に屋上遊園は本格的に広がり、同じ年の5月1日、銀座店は「百貨店初の試みである動物園」を屋上に開設し、虎やライオンで人気を集めました。上野店も昭和4年(1929)の本館完成にあわせて、屋上に動物園、児童遊戯場、園芸用品、小鳥、草花などを設けています。
そして昭和41年(1966)5月、銀座店の屋上では「生きた動物大バーゲン」というイベントが開かれました。松坂屋史料室によれば、大きいものはインド象から小さいものはサワガニまで、約300種・総数約1万点が屋上に集められたとあります。ガマガエル80匹は2日間で売り切れ、蛇は会期中に180匹が売れたと記録されており、開場と同時に大勢の客が詰めかけたそうです。ゴールデンウィークの集客の目玉として、屋上に動物園を持つ銀座店ならではの企画でした。
名前だけが残った、もう1頭の象
もう1頭、名前だけが分かっている象がいます。日本写真保存センターの写真原板データベースにある1枚で、キャプションには「インド象のタケコを見物に百貨店の屋上へ」とあります。掲載元の写真集は撮影年を「昭和30年代」としていますが、データベース側は撮影者のメモをもとに1969年2月ごろと推定し直しています。撮影場所は東京・池袋です。
タケコという名前は分かっているのに、この記録にはどの百貨店の屋上だったのかが書かれていません。データベース側も、タイトルやキャプションは写真集のものをそのまま入力したとしており、店名を補う項目自体を持っていません。タケコがどの屋上にいたのかは、今のところ分からないままです。半世紀前の屋上に象がいた記録の中には、こうして名前だけが確定している1頭も残っています。
屋上遊園地に残る名残
松坂屋の記録をよく見ると、屋上に動物園ができたとき、展望台や子供の遊び場も同じ屋上に一緒に作られています。名古屋店は展望台・動物園・水族館・こども遊園、上野店は動物園と児童遊戯場という具合に、動物と遊具は同じ屋上の中に並んで置かれていました。今の感覚では意外に映るかもしれませんが、当時のデパートにとって屋上は、常設の動物園から期間を区切った催しまで、さまざまなものを持ち込める特別な場所だったようです。
つむぎや百貨店の屋上遊園地にも、パンダやゾウの乗り物、豆汽車、観覧車が並んでいます。本物の動物こそいませんが、動物と遊具が同じ屋上に同居していた時代の名残を、3Dで歩いて覗いてみてください。